abyl1999のブログ

私が日常で体験した雑多な問題解決策の備忘録

秒速5センチメートル:澄田花苗のその後

「遠野くんのことだけを思いながら、泣きながら、私は眠った。」
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「波に乗れた今日、告白するんだ。」カナエは、数年間一途に愛していた遠野へ告白することを決意する。
1999年10月の半ばの事である。波に立てた念願のその日、遠野と一緒に帰ることになったカナエは、コンビニの駐輪場で告白しようとする。
しかし、告白しようとするや否や、遠野は無言で、カナエへの拒絶の意を表した。
それに呼応するかのように、カナエのバイクの調子が悪くなった。うまくいかない未来を暗示しているかのように。
遠野はカナエのバイクを点検してみたが、今日中には直らないとカナエに告げ、一緒に歩いて帰る事を提案した。
先ほどの拒絶とは打って変わって、とてつもない優しさを見せた彼に戸惑い、一瞬申し出を断ったが、彼に押される形で一緒に歩いて帰ることになった花苗。
歩きながらカナエは、薄々遠野の本心に気づき始めていた。いや、以前から抱えていた残酷な真実への確信が高まっていく。しかし、少し確固たるものとはならない。色々と困惑し、泣いてしまうカナエ。
そして、ロケットが打ちあがったとき、カナエは確信するのであった。
遠野は、自分なんて見ておらず、自分よりずっと遠くにあるものを見つめているということに。
自分とは価値観が違い、目的地が違うため、叶わない恋であるという確信。けれどそれ故に彼を愛していた。彼を愛する理由、それはまた彼との恋が成就しない理由であった。
結局カナエは告白できずに、遠野への想いを秘めたまま、泣きながら眠り、コスモナウトは幕を閉じた。

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いやあ~何とも切ない話ですね。古文にもありそうな無常感漂う作品です。
恐らく、多くの皆さんはコスモナウトを見たときに、カナエの未来がどうなるか気になったでしょう。
一生、遠野への想いという重りを背負ったまま生きていくのか..はたまたどこかの誰かさんみたいに誰か別の男と結婚するのか...
私は、アニメ本編、及び新海誠の小説から、作中描写及びその後を考察していこうと思います。マンガ版やアナザーストーリーの小説版はアニメ原作との解離が大きすぎるので触れないことにしました。
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私は
「カナエは遠野への未練を断ち切り、別の男性と幸せな未来を築くが、時折遠野のことを思い出す」
未来を送っているのではないか、と考えます。

以下根拠(ですます調省略)
1 カナエの夢と遠野の夢
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雨に濡れて二人で帰った日の夜、カナエはある夢を見る。(小説版)
それは地球上とは思えないほど美しい星が広がる浜辺の光景であった。カナエはそこで何故か自分のペットのカブ(犬)を拾う。
そこでしばし思いにふける彼女は、遠くで歩いている人影を見つける。
以下引用
...ふと、ずっと遠くを誰かが歩いているのに気づく。その人影を私はよく知っているような気がする。
 これからの私にとって、あの人はとても大切な存在になるに違いないと、いつのまにか子どもの姿になっている私は思う。
 かつての私にとって、あの人はとても大切な存在だったと、いつのまにかお姉ちゃんと同じ年になっている私は思う。
 目が覚めた時、私は夢の内容を忘れていた。(引用終わり)


秒速5センチメートル、君の名は、星のこえ、等新海の作品では「夢」が大きな存在となっている
古代から、多くの世界、文化圏において、夢のはたしている割合は大きく、日本の古文においても多く扱われている。
本アニメの最終章「秒速5センチメートル」終盤、アカリとタカキが同じ夢を見ているシーンがある。
お互い強く思う相手同士は、夢を共有する、という言い伝えを基にしたものだろう。
恐らく、それと同じ現象は「コスモナウト」においても起こっている
雨に濡れた日、タカキもまたカナエと同じ浜辺の夢を見ているのだ。
(なお、この時タカキは連れ添いの女の子の顔を確認できていない。※この描写についての考察は別の記事で取り上げる。)
この考えに従えば、カナエの見た人影は、タカキであることは明白である。
そしてここにカナエの未来が存在しているのだ。
お姉さんと同い年の自分が、過去を過去と認め、愛した人を「かつて」愛していた人であると、正確に認識し受け止めている。
夢には予知夢というものがあり、これもその一種であろう。
また、夢では自分の本来の意志や偏見といったものが作用しにくいと言われる。
自分のこうであってなければいけないはずだ、というバイアスが取り除かれた夢の世界において、彼女は自分の受け得る未来を正確に分析できているのだ。
遠野とは一緒に居られない、という未来の存在の確信。
これが告白できないオチへの布石となっている。
(小ネタ アニメ版でこのシーンに使われているBGMのタイトルは「夢」である。やはり夢に重点を置いているのだろう。)

2 カナエの姉との会話(小説版)
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カナエには姉がいる。アニメ版で、カナエが波に乗れた時の直前にあたる部分が小説には書かれている。
カナエは姉に車で海岸に送ってもらう途中、姉がかつて付き合っていた彼氏のことを問う。

以下引用
...「何年か前さ、うちに男の人連れてきたことがあったじゃない。キバヤシさんだっけ?」
「ああ、小林くんね」
「あの人どうなったの? 付きあってたんだよね」
「何よ急に」とすこし驚いたように姉は答える。「別れたわよ、ずっと前に」
「その人と結婚するつもりだったの? そのコバヤシさんとさ」
「そう思ってた時期もあったよ。途中でやめたけどね」と懐かしそうに、笑いながら言う。
「ふーん……」
どうしてやめたの? という質問を飲み込んで、私は別のことを訊く。
「悲しかった?」
「そりゃあね、何年か付きあっていた人だから。一緒に住んでたこともあったし」
...
「でも今思えば、お互いにそれほど結婚願望があったわけでもなかったのよ。そうすると付きあってても気持ちの行き場がないの。行き場っていうか、共通の目的地みたいなね」
「うん」よく分からないまま私(カナエ)はうなずく。
「ひとりで行きたい場所と、ふたりで行きたい場所は別なのね。でもあの頃はそれを一致させなきゃって必死だったような気がするな」
「うん……」
行きたい場所──と私は心の中で繰り返す。
...(引用終わり)


この会話は、あの夢から二週間後のことであるが、カナエが姉に人生について聞き、自分の参考にしようとしているのが見て取れる。
夢の中の体験が、無意識のうちに思考形成に影響を与えたのだろう。
自分の将来について全く考えてこず、ただひたむきに遠野と一緒になる事を考えていた花苗が、初めて現実的な計画を立てようとしている。
自分と遠野が一緒になれないかもしれないという運命についても、受け入れ始めているのだろう。
姉の助言は的を射ている。共通の「目的地」がなければ、一生のパートナーとしては成しえないのだ。
それを聞いた途端、カナエは、「行きたい場所」について考え始める。
自分と遠野の目的地は、一緒なのか、と。
目的地が違うのならば、一緒に居られないのではないか、と。
またしても、カナエは姉に問う。


以下引用
...そう言って、ずっと訊きたかったことを私は訊いた。
「ねえ、お姉ちゃんさ、高校の時カレシいた?」
姉はおかしそうに笑いながら、
「いなかったわよ。あんたと同じ」と答える。「花苗、高校生の時の私にそっくりよ」
(引用終わり)
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カナエの姉の洞察力はすさまじい。(特にアナザー小説ではタカキのヤバさを見抜いている。)
人生で長く生きているのと、教師という職がら、色々な人の本質を喝破出来るのだろう。
その姉が、カナエの本質を見抜いているとなると、カナエは姉と同じような人生を送ると見て取れる。
カナエの姉は、過去の恋は過去の恋と受け止め、未来に向かって生きている人物である。
ということであれば、カナエも将来的には、遠野は過去の人、と割り切る事が出来るだろう。
しかし、まるっきり姉と同じであれば、カナエは遠野のことを時々思い出すことがあるかもしれない。
というのも
3 「君のいちばんに...」
この曲はリンドバーグが発表した曲で、失恋ソングである。
作中では姉の車中、カナエと遠野がコンビニでいるシーンで使われている。
作品を作るうえでBGMにも何らかの意味が込められているのだとするならば、これはカナエの将来を暗示するものだろう。(無理がある推測
そして姉は、車中でこの失恋ソングを流している。ひょっとすると、昔好きだったコバヤシ君のことを思い出しているのかもしれない。
4 目的地と答え
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↑(ここで花苗とタカキの距離が異様にあいているが、これは二人の心の距離を表したものだと新海は言う)
2において、「目的地」という存在に、カナエが気づいたと述べた。
カナエは目的地が遠野とちがう、というのを薄々気づいていた。
というのも、小説中でたびたび遠野の心の声__「ここじゃない」というのをカナエは聞いていたからだ。
しかし、まだ確固たる確信には至っておらず、そして恋の盲目のせいで、そこにはカナエは目をつぶっていた。
それが確信に至るのはいつか....次の2回に分けられる。
一回目
・コンビニ前で遠野に告白しようとしたが、遠野に押されてできなかったとき。
二回目
・ロケットが打ちあがった時
である。
一回目において、遠野は目と声でカナエに「ここじゃない」を訴えた。
目は口ほどにものを言うという。カナエはその眼を「強い意志に満ちた目」と評している。
その直後、遠野が優しさを振りまいたとき、カナエはあの拒絶は勘違いだったかもしれない、と一瞬思うが、
あの目を思い出した途端、それが勘違いではないと確信する。それほど強いメッセージだったのだ。
_「ここじゃない」というメッセージ。目的地が自分とは違うという確信をしたのだ。
この時点で遠野と一緒になれないという確信は99%まで高まっている。100パーセントに達するのは二回目においてである。
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↑(遠野の優しさに殺されそうになる花苗)
二回目、泣いていたカナエとそれに困惑する遠野の後ろでロケットが打ちあがる。
あっけにとられた様子で、そして感情移入しているように思える遠野(実際しているのだが)を見たとき、カナエは遠野と自分は目的地が違うばかりでなく、彼の目的地は自分よりもずっと遠く、生きる世界が違うという事を感じるのだ。


以下引用
...そして私は突然に、はっきりと気づく。
私たちは同じ空を見ながら、別々のものを見ているということに。遠野くんは私を見てなんかいないんだということに。
遠野くんは優しいけれど。とても優くていつも隣を歩いてくれているけれど、遠野くんはいつも私のずっと向こう、もっとずっと遠くの何かを見ている。
私が遠野くんに望むことはきっと叶わない。まるで超能力者みたいに今ははっきりと分かる。私たちはこの先もずっと一緒にいることはできないと、はっきりと分かる。
...
遠野くんの心を知る前の私と、知った後の私。昨日と明日では、私の世界はもう決して同じではない。私は明日から、今までとは別の世界で生きていく。
引用終わり
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↑(電線によって分かれた月は、花苗が遠野の真意を知る前の自分と、知った後の自分の投影である)

2回の確信を持ってようやく、カナエは自分の運命を受け入れる事が出来たのだ。恋の盲目を打ち破り、自分の目的地が見え始めたのだ。
それと同時に、遠野が他の人と違って見えた理由が分かったのだ。
カナエは中学時代の回想シーンで「遠野君は他の男の子たちとは少し違っていた。」
と評しており、それゆえ彼に興味を持ち好きになった。
しかしカナエはここにきてようやく遠野が他の人と違って見えた理由こそが、自分と彼との恋が成就しない理由であるとわかったのだ。
もう遠野との恋に悩む必要はない。何故ならば絶対に成就しないことが分かったからだ。ここでカナエは恋の成就をあきらめ失恋したのだ。
すぐには立ち直れないかもしれない。しかし姉、そして夢にいた将来の自分と同じく、過去を過去と受け止める日が来るのだ。
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↑(告白未遂後、遠野が島への未練を断ち切ったことを確認し、自立の準備が整ったことを隠喩している)
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以上。
花苗は、将来的には過去を断ち切り、強く生きる事が出来るでしょう。
新海監督もインタビューで「花苗は強い女性として書きました。将来は元気にやっていると思う。」と述べています。
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↑遠野が東京へと旅立つ3月末日、花苗は遠野の見送りに来た。小説版では花苗はここで告白をしている。)