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私が日常で体験した雑多な問題解決策の備忘録

大東亜共和国(高見広春『バトル・ロワイアル』)の歴史と体制についての一考察

以下は推敲していない書きかけの記事である。2023年8月にいったん公開したものの、すぐに非公開にしたものである。

1.大東亜共和国建国の歴史

仮説①:国家社会主義者による維新があった説

 江戸幕府1920年ごろまで続いており、第一次世界大戦にも何らかの形で関与したものの、甚大な損害を被り社会不満が爆発。

そこで1921年国家社会主義者により倒幕が起こり、維新が生じた。

そして未だに中国併合や対米強硬路線を取っていることから、第二次世界大戦には参加しなかったか、第二次世界大戦がなかった世界線である。

<解説>
  後述の通り、欧州情勢を下敷きにアジアナイズしたものだとすると…

『執行者たち』、『天使たちの国境』における大東亜共和国の解説ページには、「近代以降異なる歴史をたどったもう一つの日本」といった解説がされている。

日本史における近代とは明治維新以降を指すことから、維新あたりで分岐が生じたものと解することができる。

また七原曰く、三村が建国以前は封建制と丁髷とつけていたと話しており、これは江戸幕府の姿と重なる。

そうすると建国以前には江戸幕府が続いていたとみるのが妥当である。

そして川田によると1997年時点において、76年前に共和国が誕生したという。

もちろん、川田と三村の情報源が捏造されたものである可能性もあるが、バトルロワイアルにおいてはアメリカといった海外は情報の自由な世界といった描かれ方をしているようであるから、そこに虚偽が入るとは考えにくい。よって信用性のある発言と言える。

そして本文で「一種の大がかりの革命」との記載があり、これは維新を表しているようにも思える。

なお、史実では、ナチスドイツにおいて「総統」という名称が使われ始めたのは1921年である。そこで、それにあやかり、高見氏は1921年を大東亜共和国建国元年にしたのであろう。

<批判>

 この仮説では、WW2がなかったのであるから「ガダルカナル22号」の由来となったガダルカナルと共和国の関係性の説明に困難をきたす。

←尤もこの仮説においてWW2がなかったとする必然性はない。よって共和国としてWW2に参加しガダルカナルを占拠したという立論も可能であり、その意味においてこの批判を回避できる。

仮説②:WW2後、ソ連の関与によるがあった説

 WW2頃までは史実通り歴史が進行し、終戦辺りにソ連の関与があったという説である。

<解説>

x.com

45 :名無し三等兵:2005/05/22(日) 23:32:21 ID:???
大東亜共和国自体の存在が超設定だから、その成立過程も超設定で解釈できるかな?

米ソの冷戦があったような記述が見られるし、>>42の設定も見ると、
第二次世界大戦前後までは史実通り歴史が進行したと考えられる。(『専守防衛』軍と
名乗っているしね)おそらく中野正剛によるクーデターが成功した世界なのではなかろうか。
そして彼はアメリカと停戦するために朝鮮・北満州の割譲を種にソ連に同盟を申し出(←超設定)、
日本を共産圏の(中身はファッショだが)一員としたのではなかろうか。
その過程で皇族もソ連に売られてしまった…と。そして中野正剛が初代国家主席
ソ連崩壊後は、国家元首を『総統』という名称に変更したと邪推。

https://hobby7.5ch.net/test/read.cgi/army/1116310212/l50?v=pc

以上のような主張である。いずれも終戦後に自由民主的な体制がとられていないことにつき、ソ連の関与を持ち出すことで説明を図るものである。

この説では、終戦ごろまで史実通り進んだのであるからガダルカナル島の戦いもあったいえ、首輪の名称に「ガダルカナル」が出てくることにつき合理的な説明が可能である。

<批判>

・三村と川田の発言及び「近代以降別の歴史を歩んだ日本」という解説に真っ向から反する。

→尤も、近代以降の分岐点を終戦間際に設け、かつ三村と川田の発言の信用性を弾劾すればこの批判は避けうる。しかし、相当に無理があることになろう。

仮説③:日本がWW2に勝利した世界線

 日本がWW2に勝利し、軍部の存在が強い国であり続けた結果というものである。

<解説>

英語版Wikipediaでは、そのように記述されている。*1

Wikiaでも、同趣旨(明治憲法が未だにある国家体制)を述べる編集者もいる。*2

<批判>

・戦争に勝利したものの、天皇制が廃止され総統が置かれていることから明治憲法及び戦前の国体と全く異なっている。

明治憲法下でも流石にバトルロワイアルを行うほどの立法は難しい。*3

・そもそも出典がない

仮説④:226事件が成功した世界線

 

まとめ

私は仮説③を小学校の時に思いついた後、様々な理由により仮説②を一時期支持していた。しかし、他の文献における共和国の解説や後述の国家体制がドイツを倣ったものであることから、バトルロワイアルの世界設定について、恐らく欧州情勢を下敷きに、アジアナイズしているものと解するのが妥当である。

そうすると私見としては仮説①をとる。

 

2.大東亜共和国の国家体制と特色

①最高指導者は総統

  →敬称は「陛下」または「閣下」*4

   1997年時点で325代に渡り治世がされていたとされている。

   長年にわたる治世及び「瑞穂の国…神世」といった表現を相当自らが用いていることに照らすと、天皇制に準じるものではないかと思われる。*5

   そして真の歴史によると、1921年からの12代76年でしかないという。

   このことから考察するに、1920年以前は天皇制が続いていたものと考えられる。1921年に一種の革命が生じ、天皇制は廃止され、倒幕勢力の指導者的地位にあったものが総統となったのであろう。尤も、ぽっと出の総統に求心力があるとは言えないし、また京都などには天皇に由来する多くの遺跡が残されており、それらの物的証拠を全て廃棄するのは難しい。

 そこで1920年以前の天皇を、「総統」であったことにし、上記問題を解決したのではないか。

恐らく大東亜共和国の教科書にはこう記されているのだろう。

1920年以前の総統閣下は『天皇』や『大君』と呼ばれていましたが、1921年の第313代総統閣下は、その総てを統べる者という実体に即した表現に改めるべきとし、その名称を『総統』としました。」

尤も、総統は76年のうちに12回も代替わりをしており短スパンである。

そこでそれとの平仄を合わせるために総統の数を増やした可能性がある。

例えば神武天皇であれば、その在位期間を二分の一にし、残りの二分の一を新たに作り出した天皇で補完している感じである。

また、「○○代総統」と呼称されており名前も重要視されていないことから、単なるナンバリングでもよく、歴史捏造は容易であろう。

 

尤も、天皇と述べたのものの、その実態は政治的指導者としての役割もあるから内閣総理大臣としての権能も有する。

権威付けと地位においては天皇に由来し、その実質的権能は首相に準ずる形ではないか。

県政府という行政組織がある

  →ドイツの州政府に倣ったものと考えられる。*6

③軍隊は専守防衛

 →1947年の「4月演説」時点で、陸軍海軍空軍がある模様。

   「専守防衛」の初出は1950年代である。そうすると1950年代以降に革命が起きたと解することが自然であるようにも思える。尤も、違う歴史をたどっていても、同様の用語を発案する可能性はありうるから、1950年代以降革命説は取りえない。

④警察が裁判なくして人民を処刑できる

 →小川さくらの父親も、自宅で射殺されている。しかし、殺害対象者の親族に上級人民がいれば、秘密裏に殺すこともあるそうである*7

⑤海外旅行の制限がある

 →尤も、文化使節団として海外に出るなどはできる

強制収容所がある

  →南樺太に存在。反国家思想などを有する者などが飛ばされる。

⑦義務教育では、音楽で指導者をたたえる楽曲を合唱させられる

 →『金正日将軍の歌』のような感じか。

⑧人民労働階級がある

 →これは北朝鮮にも同様の制度がある。

⑨共和国礼式がある

 →明らかにドイツを倣ったものである。

⑩桃を基調としたロゴや色を国家のシンボルとしている

 →これが最大の謎であり、これを解明すれば大東亜共和国の創設者の正体にたどり着けると思われる。ナチスが桃を基調としていたという事実や、桃の家紋がある大名などがいないかなどを中心に探したが、結局見つからなかった。誰か知っている人教えてください。

 

おまけ

南鮮人民共和国の歴史

建国は1926年とされている。

どのような経緯で建国されたについて考察するに…

仮説①:韓国併合が行われていない世界線であることから、純宗(1874-1926)が国王のままであったのだろう。そこで、史実通り1926年に国王が死去し、6・10万歳運動が行われ、かわりに独立活動家が大東亜共和国に影響を受けた国家社会主義者だったのだろう。

仮説②:韓国併合は行われていないものの、純宗は1926年までのいずれかのタイミングで退位し、国王制が相変わらず続いていたのだろう。

そこで、1926年、五月革命が生じ、国王制は打倒され、共和制が敷かれたのだろう。

高見氏が欧州情勢を下敷きにしていたものと仮定するならば、仮説②が妥当である。

ポーランド五月革命を起こしたユゼフピウスツキは親ナチであったようであるから、大東亜共和国と南鮮共和国の関係にも近しい。そうすると1926年という時代設定にも合点が行く。

*1:出典なし

*2:これは読者の理解を図る便宜で用いられた表現であるから歪曲引用になるかもしれない

*3:小中の社会科教育では、明治憲法は著しい人権弾圧を許容するものであるというイメージが強い。しかし法律の留保原則を取った憲法は、当時としては先進を行くものであった(毛利教授)。

*4:普通は「閣下」が通例である。小説版や田口漫画版では陛下が用いられていた。一方、『執行者たち』では閣下が用いられている。

*5:天皇制」という表現は左翼用語であると奈良岡先生は仰っていたが、本項での用法は私の政治的立ち位置を表明するものではない。

*6:「県」でなく「州」に改めなかった理由として考えられるのは、社会主義東ドイツでは「県」が用いられていたこと、香川州などにすると一気に興ざめするからだろうか

*7:。小説版の三村の叔父